先日東京ジャーミィを訪れ、お話を聞かせていただいたとき、私たちの考え方と似ている部分を感じました。今回は浄土真宗と似ているなと感じた点を中心にお話します。とはいえ、私は今回が初めての訪問でしたし、ムスリムの方と突っ込んだ話をしたこともありませんでした。あくまで、浄土真宗僧侶でもある私が感じたことというくらいでしかいえません。けれども、そうしたところも含め、感じたままの率直な感想です。
最初に感じたことは、イスラームの教えの平等性ということでした。イスラームの教えが世界宗教となっていくうえで、大切なエピソードとして、ビラール・ハベシー(ビラール・ビン=ラバーフとも詳しくはこちら)のお話を聞かせていただきました。奴隷であった人を、同じ仲間として招き入れたことは、当時としては考えられないものだったろうとのことでした。
一方、浄土真宗(浄土宗も同様)も似たエピソードが思い当たります。浄土真宗開祖の親鸞さまは、当時差別されていた人々に対して南無阿弥陀仏のお念仏の教えは開かれていると、共に生きるなかであらわされています。(法然聖人の草庵にも貴族から遊女まで貴賎を問わず人々が集まりました)
現代の価値観をあてはめるのはナンセンスだと思うので、他の様々な教えと比較する気はありません。
私自身の思いとしては、阿弥陀さまの前ではみんな等しく扱われる仲間という意識を忘れないようにしたいなと感じます。もちろん私も人間なので、(しかもかなり器が小さい)思いが至らないところも多々ありますが、一緒に考えさせていただくよう努めたいと思います。
昔と比べて教育水準が高まった現代において、お坊さんより賢い人はたくさんいます。だから何でもかんでもお坊さんが答える存在じゃなくていいと思っています。けれども仏教に学ぶ一人として、現代社会の常識とは少しちがった観点での提案はできるかと思います。少しちがった経験をしてきたものとして、一緒に考えさせていただく一人になれたらと。もちろんそれがフィットする人もいるかもしれないですし、ちがっていたら無理に合わせなくてもいい。そんな立ち位置も大切なのかなと感じます。
イスラームの教えとの共通点から脱線してしまいましたが、そのような心持ちなので、お坊さんともどうぞ気軽にお話しくださいね。