5月28日に京都、大谷本廟に納骨の団体参拝に行きました。50名の参加者さんに住職と私が添乗しました。前日まではサミット関連で、バスの確保や交通規制でハラハラ、翌日からは名神高速道路がリフレッシュ工事の合間を縫っての日帰りバス旅行でした。
今回の納骨というのは、小さい分骨のお骨を納めるものです。火葬の後拾った大きなお骨壺のほうは、忌明法要や一周忌法要など(いつまでにという決まりは特にありません)それぞれのおうちのお墓に納めます。希望される方は、小さな分骨用の壺の方を京都に納められる方もいらっしゃいます。親鸞さまが埋葬された大谷の地に、納めるというところから始まった祖壇納骨(みんないっしょに埋葬されます)をもとにして、大谷本廟に納めるという方も多いです。
合わせて西本願寺にもお参りさせていただくというプランで、40年ほど前からマイナーチェンジしながら続いています。
無事に納骨を終えて、バスの隣に座ったご婦人が、丁寧に納骨していただきありがとうございました。ホッとしましたと話されました。
昨年お参りしたときに、ご主人のお骨を納めようか迷っていると相談を受け、一緒に考えながら、決断された方だったので、私もホッと一息です。
ホッとすると同時に、今までお仏壇にあった存在がないことに対し、ふとしたときに寂しさや不安が出るかもしれない。でもそれもあっていいことですよとお伝えしました。
最期の住職挨拶で、今日お骨を納めたことで京都は他の観光地とはちがう、参加された皆さんにとって特別な場所になりましたね、というお話をしました。観光や仕事などで近くに寄ったとき、お参りすることはなくても、あの場所に自分にとって大切な人がいるんだなという思いが浮かびます。自分にとってかけがえのない人がいる、大切な場所。そうした場所ができた一日となりました。